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アラン・ドロン/ダリダ「あまい囁き」 [名曲!だと思う]

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素敵な甘い昔の語り

おやすみ前にブランデーでも傾けながらご覧下さい

ダリダとアラン・ドロンのお歌です

うっとりしますね~



しかし!

素敵なブロンドで甘い声の彼女はもうこの世にいません

自殺しました(詳しくは下記の紹介を・・)

【ダリダについて】

で, ダリダって誰(だり)だ? と凍て付くシャレが思いついたあなたのために簡単にダリダの紹介を。

1933年1月17日エジプト・カイロ近郊生まれ。

本名ヨランダ・ジリョッティ(Yolanda Gigliotti) 。

両親は南イタリアカラブリア州カンタンザーロ県からの移民で伯母は伝説的な舞台女優エレアノール・ドゥーゼ(Eleanor Duse 1858-1924)。

1954年 ミス・エジプトに選ばれ吹き替え女優になるが, フランスで女優になるべくクリスマスイブにパリへ。

1956年 オリンピア劇場の「明日のナンバーワン」というオーディションに参加。 サン=サーンスの『サムソンとダリラ』から取った芸名ダリラを名乗るがダリダに変えることを勧められここにダリダ誕生。 『バンビーノ(Bambino)』初ヒット。



 

1961年 マネージャのルシアン・モリスと結婚。 数ヶ月後離婚。

1966年 イタリアのレコード会社を通じて新鋭のカンタウトーリ(=シンガーソングライタ)のルイジ・テンコと知り合い付き合い始める。 

1967年 ルイジ・テンコと結婚することを公表。 サン・レモでルイジ・テンコと Ciao Amore Ciao を歌う。

しかしこの曲は入選せずこれに抗議してルイジ・テンコはホテルでピストル自殺。 

ダリダも数ヶ月後, 睡眠薬を飲んで追い自殺を図ろうとする。

1960年代後半, 当時の風潮も手伝ってフロイト心理学やインド哲学などにも関心を持ち,またステージでは長身に長いドレスと髪で歌い「聖母のような」歌手とあだ名がつく。

 

70年代, フランス本国は元よりヨーロッパ各地さらに日本でも彼女の歌がヒット(973年 『パローレ・パローレ』  1974年 『愛するジジ(ジジ・ラモローゾ)』。 同年来日。) 

70年代後半には活動の場はさらにアメリカに広がり80年代はフランスを代表する国際的歌手となります。 

彼女のレパートリーは広く 伝統的なシャンソンありイタリア語やスペイン語アラビア語などで歌うワールド・ミュージックありディスコ系あり英米のヒット曲のフランス語バージョンあり(古くは『ビキニ姿のお嬢さん』, 『悲しき天使』など。 

録音した歌は500曲以上全世界でのレコードの売上げは8000万枚。

55のゴールドディスクを受賞と仕事の面では大成功を収めます。

しかし私生活が不幸で何度も破局を経験します。

1967年のルイジ・テンコに続き,1983年には昔付き合っていた恋人も自殺。

そして1987年5月3日当時の恋人のある医者と破局。

「人生は耐えられない。 許してください。」という遺書を残し睡眠薬を多量に飲んで自らの命を絶ってしまいました。

デビューして31年目54歳の時でした。

『なつメロ英語』別館より引用





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